2015年09月29日

PC言語

前の更新の8月の終わりは猛暑の記録があって驚いた。
その後30日連続の雨とやらで
晴れた時には、もう秋の空気で残暑はなかった。
しかし、身体はそれなりにこたえたらしく
連休をはさんで風邪をひき、身動きがとれなかったので
粛々と新しいHPの作業をした。

はっと気がつけば、HPのソフトはもう15年以上前のものを使っていた。
ADSLの打切りにともなって、いざ、アクセスを切り替えようとすると
あれ?あれも対応外、これは古くて検証不能、、、といったイモズル式の
情報インフラの塩対応地獄に落ち、
それでも、未練がましく必死に調べまくってみたものの
このHPソフトでの更新は困難という結論がでた。

パソコンからだと思う。
古いものを直さないで使い捨て、
新しいものに買い替えることが最善である、という価値観が
根づいたのは。
まあ、情報革命時代の草創期に生きているのだから
仕方がないのだけど。
その空気が世間全体を覆っているのは危ないことだと思う。

そこで、クラウド型のHPの製作に着手してみたのだが
まあ、七転八倒、いろいろ躓いたり、驚いたりで
なんとか9月末に切り替えられそうな所まできた。

内容はほとんど変わりません。

驚いたことを1つ、翻訳ツールが物凄く進化していたこと。
ブラウザのアドオンに翻訳を入れたら
ページを瞬時に翻訳してくれて、しかも、日本語がほぼ正しい。
どんな英語表記の説明ページも一瞬!
そういう時代よね~としみじみ感心した。
なんせ、昔のコピペで翻訳サイトで翻訳、日本語わかんねぇ、
の感覚でいたものだから。。。。

phpだのCSCだのの基礎的なことも少しわかった。
フォートラン言語とかベーシックとかを大学で勉強し
当時の記憶装置がパンチングシート
(白黒映画のコンピューターから長く吐き出されてくる紙のやつ)
だったのだからなんて進化なのだろう、と思った。

しかし、そういった言語を見ていて
ずっともやもやしていて解らなかった時代の空気の一端
に触れた気もしたのだ。

それは、曖昧さのない世界感というもの。
コンピューター言語に曖昧さはない。
明確なルールと命令の言葉。
これを操っていると、ある種の万能感みたいなものがある。
なんでも思い通りになる、みたいな。
指令→結論。
みたいな。
これ、人間関係にあてはめると、意外と違うよね、と思う。
矢印は双方向の「⇔」になるし、そこに感情や環境や関係など
諸々コントロールしがたいものが入ってうまくいかない。
例えば言葉だって「やばい」は環境で意味付けが変わり
それを読み取るのがコミュニケーションだし。
コンピュータ言語は、すごく単純で明解。
得られる効果は絶大。
ちょっと恐怖感を憶える。
何か、この時代の裏空気というか、
まだあからさまには表にでていない、思考の方程式というか
そういったものを、ちょっと感じた。
わかりやすくて単純は強いのだ。
現実世界は複雑で不条理で不可解。
だから、おもしろい、という世代と
だから、嫌だ、という世代に
乖離してくるのではないだろうか?


そんな、不可解な世界を縦横無尽に生きた詩人の
奥成達さんが亡くなった。
子供の頃から「シンくん、シンくん」と可愛がってもらい
人生におおきな影響を及ぼした人だった。
山下洋輔さんや坂田明さんなどと交流、ジャズ評論の著書が多数ある。
また、タモリさんを発掘、赤塚不二夫さんなどとワイワイやっていた。。。

つづけて、9坪ハウスの萩原百合さんが亡くなった。
やはり不条理な世の中に「人生とは」とか考え悩んだ人だったと思う。

二人ともお酒が好きだった。
人が亡くなるのは、さみしい。
ほんとうに、ほんとうにさみしい。
posted by sinkiti at 11:53| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年09月20日

熱帯の夢 8月26日の記事



おそろしいことに、猛暑の最中、3つの工事、そして立川の選挙が重なった。
梅雨明けからの連日の猛暑日にもかかわらず、
晴れるの、待ってました!とばかりに
工房前で、上下水の耐震工事というのがはじまり、
つづいて、裏の大きなマンションの立体駐車場がよく水没するので
いよいよ解体して埋め戻すという工事がはじまった。
前に書いた、工房前の道路拡張工事というのは3年がかりで
相変わらず重戦車のような重機のキャタピラが地面を揺らしている。

マンションが2週間、上下水は掘っては埋め戻す工事がお盆前までつづき、
どちらかの工事が休みの時も、拡張工事の音が鳴り響いてい、
とどめは、痴呆、じゃなかった地方選挙がはじまり
街宣カーが狂ったように走り回った。

来る日も来る日も、騒音、振動、猛暑、騒音振動猛暑、、、、
蝉の鳴き声のよう。
日によっては昼食中も休みなくやっており、
気の休まる時がなく、
工房の前の道は封鎖され車の出入りが出来ない日が続き
駐車している車は砂埃で無惨な姿になった。

7、8月で4kg体重が落ちた。

それでも、工房から外で働く作業員を見ていると
交通整理をはじめ、炎天下の過酷な状況下の姿があった。
しかも、びっくりするほど高齢のおばあちゃんが交通整理などしていて
それがやたらと丁寧な対応、律儀で真面目な大きなアクションやおじぎだったりして
いてもたまらず、アイスコヒー缶など差し入れてしまったり
工房とトイレの間の細い通路の小さな日陰に固まって
昼食をとっている片言の日本語をしゃべっている作業員達のために
せめても、とスダレで日陰を作ってあげる始末なのであった。
工房内ですら38度の室温にもかかわらず、
なんだろう、「ごめんなさい、部屋の中に居て」という感覚で
愚痴などとんでもない、といった感覚に陥り、頭を垂れてしまうのであった。
現場、最前線はいつも過酷。。。

そんな環境の劣悪度が、
最悪の「中の上」あるいは「松」の寿司からウニを欠いたぐらいのクラスであって
今年、ちょっと熱中症というのになった。

暑くて気持ち悪く頭痛がして、脂汗のようなものが出て、
もうダメかも、と帰ることにし、
途中のスーパーとかで冷たい水を飲んでも、
胃のあたりにあるばかりで、その下に落ちていかないのだった。
帰宅して身体のいろいろな所をアイスノンで冷やして
やっと生きかえった心地になった。
脇や心臓のあたり、顔ではホホから耳にかけてが冷やして気持ちがよかった。
原因は、塩飴を切らしたことだったかもしれない。
今年は水分補給プラス「男梅」という飴をなめながら塩分補給をしていたのだが
その日は切らしてい、塩分をとっていなかった。
上手に水分が吸収されていなかったのだと思う。
その後は結構気を使いながら過ごし
なんとか猛暑を乗り切った。

この頃では、秋の気配がチラチラして
冷静に夏を振り返ることができるようになった。
なんというか、遠い夢の中のような、他人事のような気がする。
そして、同じような日々だったせいか
一昼夜の出来事のように短期間だったようにも感じる。

ただそんな最中でも、
風で運ばれてきて2年がかりで育った庭の鉄砲百合の初咲きを
今か、今かと楽しみに待っていた自分が居り、
青白い蕾が膨らみ、咲いて、萎れてポトリと落ち、雌しべだけになっているのだから
時は確実に過ぎた実感はある。
漱石が夢十夜で描いた白百合のような、
永遠のような一瞬のようなそんな夢をみたような2015夏。
posted by sinkiti at 17:44| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年08月27日

糸とんぼ 8月2日の記事

今年の蝉の初鳴きは、6月24日で、
玉川上水脇の御影公園からカナカナカナと1匹のヒグラシの声が聴こえた。
続けて、よく25日、同じ場所でニ-ニ-とニイニイゼミが聴こえた。
なんとも早い鳴きはじめ、しかも、晩秋のヒグラシから鳴き始めたことに
驚いた。まだ、夏もはじまっていない、梅雨の中休みのことだったからだ。
次の日から、梅雨の長雨が再開し、7月の上旬は止むことがなく
10日をすぎて東京の日照時間は3時間程度と、身体にカビがはえそうな
ニュースがラジオから聞こえたりした。


あの、最初のたった1匹の蝉は、1日鳴いただけで雨に降り込まれ
仲間も見つけられなくて、地上をどう感じたのだろうか?

最初の1匹も、最後の1匹とは違った孤独があるなぁ、と
降り続く雨を見ながら思った。

梅雨が明けて、連日の猛暑の中、通勤の自転車で
降るようなヒグラシの蝉時雨を浴びながら、
ふっと、最初の1匹の声と存在を、また思った。

僕は聴いていましたよ。
存在を知っていますよ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。

小学生の頃は虫採りが仕事のような少年で
夏休みは、朝から野山を虫採り網を持って
憑かれたように駆け回っていた。
ただ狩人のような衝動のようなものに
突き動かされていたのだと思う。

午後は、海に行って、ひたすら防波堤から飛び下りたり
泳いでは、砂山を築いたり、埋まったり、

飽きもせず毎日それをくり返していた。

まさか、自分が大人になって虫採りも海水浴もしなくなるなんて
想像すらできなかった。

今まわりに釣り好きな友人も居るが
やったことのないフライフィッシングにしても、
どうしても心が動かない。衝動がこない。

たぶん、あの時にすべての情熱を出し尽くしたのだと思う。
狩り的なものに、まったく興味がなくなってしまった。

先日、自分の製作した家具づくしの家(有難いことです)で
納涼の宴が開かれた。
その家を建てた
建築家さん、工務店の社長さん、私というお馴染みの3人が
呼ばれて、お施主さん家族と楽しい一時を過ごさせていただいた。

そこの小学校低学年の男の子(赤ちゃんの頃から見てきた)に
「虫狩り」の衝動が到来したらしく
夜なのに補虫網を持って駆けまわり
蝉や、糸トンボを採ってきては見せてくれる。
玄関には、
カブト虫やクワガタを飼っているクリアケースが積み上がっていた。

見て見て!と虫を見せに来る上気した笑顔に
自分の少年時代が重なった。

用水路が近いからか、羽黒糸トンボをつかまえてきて見せてくれた。
艶やかな黒い両翼を閉じたところを摘んだ、汗ばんだ少年の指。

大人達は、一斉に、かわいそうだから逃がしてあげな、と言う。
少年は、少年なりの言い訳で応戦して、
なんとかがんばって、戦果を逃したくない。

残酷さというのは、ある時、ふっと自覚する。
それまでは虫の命や都合には無頓着。
その無自覚の残酷さは通過儀礼のようなもので
虫採りなどの健全な形で通過していった方が良いのだと思う。

その糸トンボは、私の人さし指に止まらされた。
ビールグラスの水滴をギョロ目の顔にチョン、とつけてやった。
両の前足で迷惑そうに顔の水滴を擦った。
飲んだのかな?
逃げないので、何度もあげた。
やっぱり顔を擦った。
そんな交感するうちに
少年の指がトンボに伸びてきた。

その後
もてあそばれて
夜空に放たれたようだった。

そんなことがあって思い出したのだが、
昨年の同じ頃、玉川上水沿いの
昔の風情が残る鬱蒼とした林が屋根のように被さっている小道で
上水の川面だけに光りが幾筋もの光線となって降っていた。
そこを、フワッ、フワッと蝶のように羽ばたきながら一匹の黒糸トンボが
ゆったり飛んでいるのだった。
一瞬にして古代の恐竜時代が現出したようになった。
自転車を停め見ている自分など居ないかのように
横を悠々と飛び去っていった。

「川あかり 神代の律で 糸とんぼ」

余談だが、宴の次の日の夜のこと。
網戸のあたりでカサカサ音がするので目をやると
羽黒糸トンボが、ハタハタと居るではないか!
カゲロウではない!
川筋でもない我が家に何故?
不思議なことってあるものです。
posted by sinkiti at 08:15| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

雷 6月24日の記事

ちょうど春から梅雨へと季節が移ろう5月半ばは
きまって突風や雷の季節で、その日も夜半過ぎから
突然ゴウゴウと風の音が激しくなり、雨が屋根を叩く音で目が覚めた。
加えて、雷もゴロゴロなりだし、ものものしい気配になってきたものの
睡魔が勝ってまたトロトロと眠りに落ちてゆくとともに
雷の音も遠ざかっていった、と思ったら
ピシッ!乾いた爆音と共に近くで雷鳴がとどろき
ズズズズゥ~と雷が地面に沁みいってゆくような地響きがして
ハッ!と目が覚めた。
近くに雷が落ちたんだな、と思った。
1、2キロくらい先かな、、、とそこらの近所の光景など浮かべてみたが
そのまま、布団に吸い込まれるように寝入って朝になった。
朝は、雨上がりの雲一つない初夏のような青空。
雨の露が朝日にきらめいていて、
何かいいことありそうな、そんなウキウキするよな晴天だった。

数日たって、お向かいに住むおじさんに話しかけられた。
軽トラをのりまわし、一人親方みたいな仕事をされているのだと思う。
がっちりとした体躯の50がらみの、カラッとした職人風情で
現場人らしく声が通って大きい。
家族でお向かいに住んでいる。

「お宅は大丈夫だったぁ?」

なんの事だかわからず、けげんな顔をすると、
雷だよ、ほら、そこの、お宅の電柱に落ちた。
へ?何の被害もなかったの?
うちは、コンセント丸焦げ、テレビ2台、ビデオもファックスも
全部パー!

ほら、あそこ、お宅の2階の壁もコゲてる。
指し示す方を見ると、
たしかに引き込み線のある白壁に黒いコゲの跡が見えた。

あの夜中、1、2キロ先に落ちたな~と思った雷が
まさか、我が家に落ちていたなんて。

それにしても、その後、何の支障もなく暮らしていて
気がつかなかった。
知らないということは、時に幸せだったりする。

電柱に落ちた雷は、分派してお向かいの方に流れたようだった。
我が家の引き込み線は、古く取り残されて使われていなかった電話線のような
もので、壁が電流の終着で、壁が焦げたようだった。
なので、電化製品もネット環境もまったく支障がなかったのだ。
しかし、その壁に寄り添うように横で寝ていたのだから、
なんだか、おそろしい。
というか、おめでたい。

各地で豪雨、雷雨、突風、火山爆発、地震と数年荒れ狂っている日本列島。
各地で悲嘆に暮れ、涙も枯れている人々がいるのに、
すぐ隣町では、なんの被害もなく平和な明け暮れがある。
何か、むごいような、でもそれが現実でもある。
雷が落ちてみて、そう思った。
お向かいさんに、お見舞いを送るにも、かえって気をつかわせてしまうし、
自分は被害がなくてよかった!と少しでも思っているのだから
どんな言葉も、何かそらぞらしいように思えるだろう。
ほんとうに難しいものだ。

自然災害の大部分は、「運」なのだと思う。
雷が家に落ちたのに被害がなかったことは、運がいいのか?
奇跡的なのか?は、人生が終わるまでわからない。

運を天にまかせる。
IT万能の時代、神の領域に踏み込みつつある昨今
八百万の神々が痛烈に問うているのかもしれない。

しかし、ギリシャ神話の神々の名を冠したような人工知能が現れ、
気象すらあやつる時代がいつかくるに違いない。
なにもかも、解析、予測され、
「運」「不運」という言葉が消える日がくるかもしれない。

コントロールされていない自由な青い空に輪郭のはっきりしない希望を描いたり、
突然の雷雨にずぶ濡れになってチクショー!!と思う、
そんな当たり前のことが、
もしかしたら、かけがえのない体験になる日がくるのかも。


posted by sinkiti at 18:50| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年06月09日

4月~5月のこと 5月5日の記事

あっという間に4月が過ぎ去ってしまっていてびっくり!!
世はゴールデンウイークというやつに突入してしまった。
すべての関係取り引き先の仕事がストップしてしまうことを思い出して
慌てて、材料だとかを買い込み、あ、4月、ない、と気がついたのだった。

4月の初っ端は、
災害を「土嚢」という視点からデザインで切り込む展示会
「どのうプロジェクト」に参加した。
10年ぶりくらいに旧知の人々に会い、また、知り合いとまでいかないが
当時よくお見かけした顔ぶりが顔を揃え、
展示会のオープニングは、さながら同窓会のようだった。
年齢を感じさせない業種なので、時々会っていればその変化を感じないのだろうけど
まったく集わない自分のような人種には
タイムスリップして10年経過した皆が居り、風格や風采が上がって
あの頃の若手も、今や中堅の要になられれているのだな~と
眩しく感じた。
10年前の心の蓋を開けると、何処かに保存されていたのだろう
その頃吸っていた空気がプシュッ-と勢いよく吹き出して
運転席から見える皇居周辺の夜桜を散らした。

。。。。。。。。


新小学生の帽子が、
風に揺れるタンポポのように学校までの道端を埋めつくして揺れていた。
新しい、黄色。
咲たての新鮮な黄色だ。

。。。。。。。

新緑が眩しい。
風の音が変わる。
冬のヒュ-という音からサワサワとなる。
かなり強く風が吹いても
なんとなく、淋しくならない。
まるやか、な、音。
感覚に触れるすべてに角がとれてくる季節だな~と思う。


。。。。。。。


キジを見つける。
先だって書いた工房前の道路拡張工事。
日曜は休みで、トラックの往来もない。
晴れ晴れとした5月の青空にキジのケン!という鳴き声が響き渡った。
しかもかなり、近い。
青草が伸び始めた遠くの土手のあたりを見ていると
土色のメスのキジがトコトコトコ、と降りてきて
工事車両用の土の道まで出てきた。
ほう!ここに工房を構えて10年以上になるがはじめて姿をみた。
と、青草に一点の鮮やかな真深紅の芥子の花のようなものが咲いて揺れているのが
目についた。
よく見るとオスのキジの顔だった。
ほ、ほう!つがいで見れるとは!
それにして、なんと強い美しい色あいなのだろう
徹夜明けの瞳が強烈な朝日に潤んでいるせいか、
若草にきらめかす玉虫色の羽根もまばゆく輝いて見えた。
もちろん、キジを見るのははじめてではないが
美しい、と感じたのは はじめて。
美しさというのは、
環境や状況、タイミングも大事な要素なんだな、と改めて気がついた。
遠めに眺めているのに、
キジの目がはっきり見えて、目が合っているように感じた。

。。。。。。。。

カラオケを機械が採点するようなTV番組を見た。
その採点で優劣が決まり勝ち抜く感じの番組。
聴いていると、高得点の人は上手なのだけど、魅力がないな、と感じ、
素敵!と思った人はあまり点が伸びなかった。
機械の判断基準に人間側が合わせて歌っているということもあるのだろうけど
そのまわりの賑やかしのタレント達が妙に「上手い!」とはやし立てるものだから
歌が上手い、という価値基準がわからなくなってくる。
そして、ちょっとゾッとする。
カラオケマシーン=AI(人工知能)
賑やかしのタレント=マスコミや世論
と、置き換えてみたからだ。

近い将来、価値判断も人工知能に委ねる時代が必ずくる。
その時、個人の「感動」もより機械寄りのものに変質させられてゆくに違いない。
感情や情緒といったバグりやすいものが、邪魔なもの、と認識されてゆくに違いない。
今の時代のうちに、しっかり血の通った感動を味わっておこうと心に誓った。



posted by sinkiti at 23:14| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

開発 3月23日の記事

3月17日。とろっとしたピンクに染まった春の夕焼けに
小さな黒いビニール片のようなコウモリが
ハタハタと飛び回っているのを見つけた。
窓の網戸に透明な緑のウスバカゲロウが貼り付いているのも見つけた。
少しづつ、命が増え始め、
小さな小さな息遣いがすぐ耳元、足下、にあふれはじめる。
この感じ、いいなぁ~、と体中、弛緩するようなため息と共に思う。


そんな春なのに、工房に不穏な地響きが絶えない。
「?」と思ってドアを開けてみると
キョッ!恐竜ゥ!!?
hei1[1].jpg
 



工房前の白壁を食い始めた!
ヒィ~!!

hei0[1].jpg




ガリッ!バリバリ!!




壁は跡形なく食い尽くされ、広大な原野が出現。。。




工房前の道路が3年がかりで拡張されるらしく
工事の真っ最中。
白壁を目印に工房にいらしていたら要注意です。
もう壁はありません!!

武蔵砂川駅付近も再開発(もともと開発されてないので、ただの開発?)で、
北側のお花畑が全部なくなってしまい、殺伐とした悲しい春の景色。
通勤途中にアカシヤの木の木陰にハチの巣箱のあった牧場跡も
市の自転車の保管用地として地ならしされコンクリになってしまいました。

武蔵砂川は激変の予感です。
農地や植木畑もどんどんなくなって住宅地化が進むでしょう。

人口がどんどん減る一方なのに、、、
なぜ郊外に?と思ってしまいます。
地主の皆さんも高齢化され、
売り時と重なっているのかしれないけど
何十年後にゴーストタウン化しないように
計画的に開発してほしいものです。

一様に同時期に開発した団地や住宅地の高齢化、空家問題は
多摩ニュータウンなどの先例があるわけで
これから大型開発するならば
それらの問題を見据えた開発をすべきだと思います。

武蔵砂川近辺は農業によってできた独特の文化が色濃く残っていて
それは破壊してしまったら絶対に取り戻せないもので
なくしてしまうのはもったいない。
残し、生かしていって欲しい。
当たり前すぎるから気付かないかもしれないけど
無くしてはいけないもの。

。。。。。。

工房の前には、野生のキジが生息していて、
どうしたかな~と心配して行き来する工事現場のトラックを
眺めていました。
と、夕暮れに、ケーン!とキジが一鳴きするのが聞こえ
よかった~と木立の向こう側でがんばって生き延びているようで
ホッと胸をなでおろしました。

ちょっと思います。

街の人と他の生き物の数のベストバランスってあるんじゃないのか、と。

小さな息遣いと程よい距離で暮らせる街のままがいいなぁ。
空もできるだけ、広いままがいいなぁ。
キジの声が遠くまで届く、武蔵砂川でありますように。

posted by sinkiti at 23:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年03月02日

雪のこと


東京武蔵野は去年のようなどか雪にならなかった2月であった。
さんざん天気予報におどしつけられて、身構え、右往左往しただけで
ちらついた雪は、地面に触れたそばから消えていった。

小雪の舞い散る夜には、車で帰ったりした。
田舎の闇の濃い1本道を
白い軽のアルトなんかが赤いテールランプを光らせて
悪路を踊るようにハネながら、降る雪をかきわけ走っている後ろについたりすると
白い野うさぎを追尾する猟犬のような心持ちになったりした。
そして、いつのまにか、雪が白梅の花ビラに変わって早春の夜になっていた。



震災の翌年のやはり2月、建築家のTさんと仕事で福島へ行くことになった。
予定を立てたのは秋の終わりの頃で、雪のことなどまったく頭になく
日程を組んだ。
仕事内容は被災した家具の修理で、車で行く必要があった。

いざ、予定日が迫ってくると、その日だけが雪マークであった。
レンタカーはスノータイヤをオプションでつけ、
いざ出発したものの、東北自動車道は、
茨城の平野は強風、
白河からは路面凍結、
インター出口の飯々坂は雪が積もりはじめていた。
暗かったがまだ3時過ぎだったと思う。

運転の上手な北海道出身のTさんに安心してハンドルを預けたものの
「オレ、そんな雪道運転したことないから」とおっしゃる。
そういえば、随分若い時に東京に出てこられたんだった。。。
そこからが冷や汗ドライブ。
スノータイヤは効いているのかいないのか、カーブの度にズッと横滑る、
そして、恐怖の踏み切り、手前で渋滞しており、
踏み切りってちょっとした小山になってますよね、
その手前で停止してしまう。
勢がつけられず、踏み切りの麓で後輪がスリップ!
「オレ、外で押しますよ」とかの緊迫の会話。
あわや踏み切りで止まるのではないのか、
あげくは列車衝突?という押しつぶされそうな不安連想。
何度か脱出を試したあとギュギュッとした音と共に小山へ突入
なんとか踏み切りを突破!!
その頃はもはや夕闇の中。
大きな国道はなんとかなったものの
その日の宿への道の最後に待ち構えていたのが
飯々坂温泉駅前の長くカーブした急勾配の大坂だった。
その上に宿がある。
勢をつけてノンストップで行けば登れる、とふんだ二人だったが
見通しが悪いカーブであり、
偵察に行ってみると
カーブの先は雪のせいで路面幅が車がすれ違えないくらい狭くなっている。
なので対向車が来たら終わりだ。
一か八か、発進!!
カーブを曲がり急勾配にさしかかったところで
下りの対向車!!!!
ブレーキ!
効かない、、、ずるずると車の重さで坂を滑り降りてゆく、
かつ、左に寄っていく、、、、
壁に擦るか、、電柱、、、!!!!!!といったところで
なんとか停止した。
無意識に息を止めていたせいか
ハアハアいっている。

バックで、もとの麓までソロソロ、ともどる。
(何度か止まってズルズルを経験しながら、、、)

そして、2度目のトライ。

「行け!行け!!!」大金を掛けた競馬馬でも応援するかのような
(想像ですが)絶叫とともに
坂を、登りきっ、たぁ!!!!!!

精魂つき、宿に到着。
温泉宿の雪景色も、温泉も、なんとなくおぼろな記憶。
明日、この降り積む雪の坂を降りるかと思うと
生きた心地がしなかった。。。。。。
(無事故で無事に帰れたのでこうして居るわけですが、、、)

その時の恐怖感がいまだ消えず。
雪が、なんとなく恐ろしい。
子供の時のような無邪気な雪へのトキメキが消えたのは、
きっとその時。





posted by sinkiti at 08:13| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年03月01日

寒中思索 1月24日の記事

年始は5日から仕事をはじめる。
年末に持って帰ってきた作業服を全部洗濯したのを
手提げの袋に入れてみると、もの凄く重たく感じた。
冬は午前中が室温10度以下
午後でも12、3度の環境で仕事をしており
重ね着の数が凄いことになっているとはいえ、
これからの1年、戦う、戦闘服といった重みにたじろぎ、
身がひきしまった。

年始は「これから」とか「これまで」といったTV番組が多く
休んで少し思考の歯車もまわりはじめたこともあって
いろいろ考えたり、想像したりした。

そして、これからの20年、というものがはっきりと見えた。
もし、戦争とかがなかったら、の話しだが。。。
1人の人間としてそれにどう向かい合ってゆくのか、
それはこれからの課題。

気のはやいロウバイが黄色い花を満開にしているのに出会った。
まとまって降った雨のせいか、清冽な薫りをふりまいていて、
あ、空気に色彩が、と思った。
冬って透明なんだな、
春になれば、空気にも色どりが満ちるんだな、って思った。


posted by sinkiti at 15:38| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年01月31日

2015年元旦の記事 迎春


12月30日が小春日和となって、霞がたち、春ってこんな感じだったよね
と、カチコチしていて心が少しほどけ、
心の心電図にウキッと小さな小山がいくつか現れた。

今年はクリスマスや年末感が薄かった。
バタバタとつんのめるように関東平野を走りまわり
心と身体と手がおちつかなかった。
できれば、一年が400日くらいあれば、
1日も30時間くらいあれば、と願っていたということもあり
年末新年の区切りに恐怖し、目を逸らせたかったのかもしれない。
それでも、30日の小春日が、ふっとそのテンションの糸を断ち切って
ある種の諦めと、楽観を運んできた。
ながい徹夜仕事に朝陽が差したような気分だった。
そして、やっとやっと、掃除や年始の仕度をはじめた。

11月まで咲いていた外壁一面の朝顔が
枯れきって種をこぼしている棚を切って整理した。
毎年のことながらのあざなわれて親指ほどの太さになった蔓の力強さに
感嘆しながら、ひとハサミいれ、ふたハサミいれしていると
パチリという音とともに、今年一年の出来事が次々に思い起こされ
ますます年末気分が高まったきた。
暖かな午後の陽射しが背中を暖めてくれて
辛いとこも、苦しいことも、まどろんだ夢の中の出来事のように思われた。
無事になんとか1年を過ごすことができた。
本当に、有難い、という気持ちが暖かい水となって吹き上がってきた。

日本のあらゆる場所で尋常ではない災害がおき、命や家財が失われた。
年をとるごとに、その悲しみや辛さを慮る感度が変わってきたように思う。
自分にできることは何か?問うことも多くなった。
難しい問いなのだけど、
今は、自分の精一杯の仕事をすること、
それが、何処かで誰かを救ってくれるのではないか、と
そう思って頑張っている。

31日に掃除を終え、無事新年を迎えることができました。
今年も、皆様、どうぞよろしくお願い申しあげます。
旧年中の感謝とともに。
posted by sinkiti at 08:52| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

12月5日の木地 銀杏の樹

朝起きると、
東側の窓のスリガラスが眩しい黄金色にかがやいていた。
この時期がきた!!と思った。
誰が植たのかわからないけれど
今では2階の屋根まで届こうかという
庭のイチョウの樹の黄色の紅葉が、
朝日に照りかえりガラス窓に映り込む時期が
晩秋のほんの1週間ばかりあるのだ。

それは見事な輝きっぷりなのだけど
その1週間は、落ち葉との格闘となる。
イチョウの落ち葉は水分が多いせいか、ホウキにかかりにくく
精神的にも、肉体的にも ちょっとした「忍」が
しいられる。

ちょっとでも北風が吹くと、掃いたそばから一斉に葉をちらす。
その朝陽の中の光景は
黄金色の小鳥の群れが天から地面に一斉に舞い降りてくるようで
ため息がでるほど美しい。

一番好きな樹は?と聴かれたら、イチョウの樹だと答える。
鎌倉鶴岡八幡宮の境内のイチョウや、
中野の下宿先の近くのお寺の巨木もイチョウだったし
大学にあったイチョウの樹にはよく登って
のんびり雲を眺めたりした。
何か話しかけたり、祈ったり、
人生の中でそんな交流のようなものを持ってきた樹なのだった。

でも、木材は?と聴かれたら、別で
イチョウはちょっと独特の匂いがあって
特別に好き、というほどでもない。
水に強い木なので(落ち葉の水気の多さからも、納得!)
まな板やカウンターに使われることが多い木だけれど
最近は、衛生だかの法律が厳しいらしく
調理のカウンターに材木を使うことが減っているらしい。
適材適所、先人の知恵に学ぶ木の使い方が
どんどん消えてゆく。
木の国なのに。。。。。

そう、樹にかかわることで、まわりでちょっとした変化があった。

工房の前の道路が3年がかりで拡張されるとやらで
日産跡地の雑木林がほとんど伐採されてしまった。
私の工房前も例外ではなく、
前に生えていたモチの樹や山桜や名も判らぬ雑木の巨木も
全部伐採されてなくなり、
遠い丘に幾本かのイタヤカエデの並木を望むのみとなってしまった。
夏は西日を冬は秩父おろしの風を防いでくれたんだけどな~

遠くのイタヤカエデの並木も取り残されてなんだか元気がなく
例年より早めに、北側の樹の梢からどんどん葉を散らしていった。
絶対に樹にも心のようなものがあり、
無くなってしまった樹達のことを思ったりしているのではないか
と、その並木を眺めると感じてしまう。
今では、大きく開けた空が、
ぽっかりと、今まで何もなかったように平然と有る。
その、さみしいような、悲しいような、
でも少し清々しいような初冬の空を見ながら
ポストを覗くと落ち葉とともに、喪中ハガキが何枚か入っていた。
いろんな人のいろんな生物の冥福を祈る。

心だけ 木立に残し 散るもみじ

posted by sinkiti at 13:41| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
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